• HOME
  • ブログ
  • ブログ
  • 【宮塚コラム】幼少時からトライアスリートの素地がつくられていたと感じる帰郷でした

【宮塚コラム】幼少時からトライアスリートの素地がつくられていたと感じる帰郷でした

ブログ

12月7日から1週間ほど長崎県南島原にある私の実家に帰り、黒砂糖作りを行ってきました。
実家は以前、酪農とジャガイモ作りの農業に取り組んでいて、私が子どものころはよく手伝わされたものです。

しかし自分も3つ上の兄も、大人になって実家を出て行き家業を継がなかったので、父が70歳になったときを機に酪農を終了。その後、様々な物を自家製でつくるようになりました。

味噌や醤油、それに黒砂糖。
父は70歳から90歳までの約20年間はいろんな手作りを行っていました。その噂は広く知れ渡り、地元のローカルテレビで密着取材を受け、1時間のドキュメンタリー番組になったほどです。

黒砂糖作りは近所の評判になり、多くの人が自分の畑でサトウキビを栽培。12月になると私の実家でそのサトウキビを絞り、釜で煮詰めて黒砂糖を作るようになりました。

それが5年ほど前に父が亡くなり、母ひとりではお客の黒砂糖作りが困難になりました。それ以来、私が毎年12月に1週間ほど実家に帰って、その手伝いをするようになったわけです。

1日の工程は、朝の7時からサトウキビを絞り、6時間ほど釜で煮詰めて水分を蒸発させ、残った砂糖を型に入れればでき上がりです。

だいたい朝から午後3時くらいまで作業を行い、そのあとは少し休んだり所要をこなす。夕方には小浜温泉に入り、魚を買って帰り、その魚をつまみにお酒を飲んで就寝するという1週間でした。

実は私、学生時代はスポーツの成績は中の上か、上の下といったところで特別なアスリートではありませんでした。それがトライアスロンに取り組んで日本のトップとして活躍するようになったのです。

確かにスポーツは好きで、どの種目でもそこそこはこなすタイプでしたが、それが日本一までになれるなど夢にも思いませんでした。

しかし今になって昔のことを考えると、その下地は長崎で過ごした子どものころの経験が大きく影響を与えていたと思えるのです。
農作業は力任せに作業し続けていると身体がもちません。ですから、体格が小さく力が限られていた自分はその作業を楽にこなすため、効率的な身体の使い方を体得する能力が自然と養われていたようです。

中学時代は自転車で通学。学校から帰る途中によく池で泳いで遊んでいました。
そして陸上大会が近づくと、先生から「自宅で走っておくように」と言われていたので、そのときは帰宅後1~2kmほどランニングしていたことを覚えています。

そうです。私は中学生のときから一日でスイム、バイク、ランの3種目にすでに取り組んでいたのでした。

関連記事一覧